【伊藤過去編】生きてる間に生まれ変わろう
「どうも、伊藤隼です」
ごく普通の子供だった
ありふれた田舎の家庭で幸せに育つ。
小学校の時、家が学校から1番遠くて家に着いた頃には夕暮れ、カラスの子のチャイムが響き渡っていた。友達の家も遠いため、近所の川に1人で遊びに行った。
小学3年生の時、馴染みの川のメダカが急に巨大化して嬉しかった。
(全てカダヤシに置き換わっていた事を後に知る。
【外来種問題に目を向ける】要因となった。)
高学年になった時、川が真っ黄色に染まった。アメリカザリガニでさえも、見当たらなくなった。
(近くの漬物屋が汚水を大量に流していた。
【環境汚染に目を向ける】要因となった。)
中学、理科が得意な方だった。
中2の時、愛猫ヤマトを拾う。
応援団長を全身全霊で頑張ったけど、本番で負けた。
【誰よりも努力しても、後悔は残ることを知る】
高校、生物が得意だった。教科書が分裂するほど読んだ。
流れのまま、特に思考せぬまま大学入試に取り組む。生物と英語だけが取り柄だった。小学校から高校まで12年間半期ずつ学級委員長を努めた。特に、「学校を変えたい」とかではなく誰もやらないし、目立つからやっとくか、という感じでやっていた。
富山大学に入学する。
大学1年生になった。
登山部に入りたい!と、意気揚々と新歓コンパに向かった。
酒!酒!とばかり、考えていたら いつの間にかヨット部に入っていた。
【人生はノリだと学ぶ】
ヨットだけの生活で大学1年生が終わるかと思っていたら、先輩に「海外興味あるんなら行ってみたら?」と言われ、「はい」と答える。
ここから、急激に人生が濃密になる。高校の友達には「別人になった」と言われる。
先輩に言われて、1ヶ月後にはパスポートも航空券も用意していた。
カンボジアの現地集合ボランティアツアーに参加した。
そこで出会った高校生や大学生がとにかく本当に面白くて毎日いろんな人に話を聞いた。「高校の卒業式に出ずにカンボジアに来た」「感謝したくて戻ってきた」「世界の教育に興味がある」「発展途上国に来てみたかった」
今思えば、なんの変哲もない返答が、その時は本当に興味深くて聞いているだけでその人の人生が見えたような錯覚が起きていて楽しかった。
いつものように、いろんな人に経緯や面白い話を聞きに行った最後の夜に突然言われた。
「ここには、面白い人がたくさんいるんだね。それで隼は何をしたいの?」
何も答えられず、大号泣した。自分がしたい事、これまで自発的にしてきた事、何も思いつかなかった。
取り繕ったような発言は全て見透かされ、中身がうっすい事を知られたのが本当に恥ずかしかった。
「自分は何がしたい、何をしてきたのか」理由までしっかりと話せる”他人を気にしない”人生にしてやろうと思った。でも、今まで他人の価値観で行動してきたから
【人の意見を聞かずして、何をすればいいのか全くわからなくなった】
大学2年生になった。
尊敬していたカンボジアで出会った1個上の大学生に勧められるまま、
full bloomという団体での不定期イベントに参加した http://fullbloom.or.jp/
「たった一度きりの人生を自分らしく生き切ってほしい」
という理念のもとに、就活生や悩める大学生の自己開示や自己分析をしているリクルート系?イベントで、初めて会った人に心の奥の奥まで掘られた。
忘れていた記憶や忘れたかった過去を掘り出され、納得した。
【僕という人間は、どこまでも人が好きで人を気にする性分だと知った】
それでいいと思った。(今はまた人間性が変わった)
自分を恥ずかしく思っていた過去から、何も恥ずかしいと感じなくなった。
どこまでも自分だから、取り繕っても分かる人にはバレてしまう。
他人の価値観に縛られず、自分を自分で誇れるようになろう。そう思った
東大生のふんどしやさしいマン(https://kagakutokenkou.com/)を見て、
無限のやる気が湧き出る
「どうも、ふんどしマンです」
「とりあえず、好きなものを好きと言えるようになりたいから、インドにベンガルトラを見に行ってみよう。」
そこからは、【行動原理が安直に、シンプルになる】
インドに行った。人が焼かれるところ、瀕死の人、格差、宗教、旅人たくさんのものを目の当たりにした。大量の情報量に少しずつ、向き合って理解できるようになった。
ベンガルトラは金をまぁまぁ積んだけど、見れなかった。
【海外の野生動物は計画的にだな】という教訓を得る。
インドの生焼けチキンカレーでぶっ倒れて「あぁ、生きてるって幸せだな」と思う。
人が火葬されている横で、生き生きと沐浴する人を見た、生と死は近くてもいい。死があるからこそ生が際立つ、と当たり前のことを初めて納得した。
【死ぬ気で、生きよう】
【帰国後、即行でダイビングライセンスを取る】
「どうも、ふんどしダイバーです」
成人式には興味がなかったので行かなかった。 一生懸命バイトした。
生物が好きだった。生物学者リチャードドーキンスと出会って、生きる目的をなんとなく掴む。
【個体は繋ぐことにしか意味をなさない、個としては意味のない一生を意味あるものにしようと思う】
「海外の野生動物は計画的に」という教訓からボルネオ島のスタディーツアーに参加する。オランウータンは本当に美しかった。彼らは森と共に生きていた。
生き物好きな同期がたくさんいることを知る。
海外の動物の魅力にどっぷり浸かる、
野生の王国と呼ばれる【次はアフリカに行くと決める】
大学3年生になった。
アフリカに行くため、ひたすらバイトをする。
レストラン、レストラン、引越し、治験、塾講、日雇い、試験官、同時進行にバイトしまくる。金を貯める。
バイトの副産物で彼女ができる。QOLが上がり、かなり幸せになる。
幸せを糧に無限の体力を得てバイトに勤しむ。
伊豆と沖縄でダイビングの修行をする
【プロダイビングライセンスを取る】
おもしろい人間に会いたい、ノリで
【シェアハウス マチボクに引っ越す】(https://www.facebook.com/toyama.sharehouse/)
マチボクに遊びに来たアメリカ人に名前をもらう
「どうも、ふんどしダイバーのショーンです」
彼女のために急激にオムライスを作る能力を上げる(今は腕が落ちてしまった。)
大学4年生になった。
ハワイに1人で行く。
【スリルを求めるようになる】
アフリカ縦断する
野生動物まじで面白いってなる
【動物を追い続ける人生はきっと幸せだと考えるようになる】
アフリカの村の学校を見にいく。彼らの教育は想像もできなったものだった。
【アフリカの村と学校がずっと心に残る】
アフリカの村で突然、名前をもらう
「どうもニャベキンダです」
エジプトのダイビングショップで働く、
たくさんの旅人と出会う
【人生、本当に自由だと今更思う】
アイスランドへ行く
オーロラを見て【漠然と宇宙を感じる】
アイスランドに一定期間住んでみたいと思う。
モンゴルに行っていろいろ失敗する
【海外の野生動物は計画的にだな】と思う(2回目)
オーストラリアに行って数ヶ月後には登山禁止になる、エアーズロックに登る。
【世界には、今しかできないことがたくさんある。
思い立ってから考えているうちにそれができなくなることもある】と学ぶ。
大学4年生になった。(2回目、大学生5年目)
あの時のように、お金はないので比較的節制しながら卒業研究を始動。
先輩にめちゃおごってもらい、仲良くしてもらっている不動産の方に大変お世話になる。
中々のバランスの研究室でもがきながら(ぶっちゃけ、めちゃくちゃ楽しんでいた)
母校の大垣南高等学校で教育実習(ふんどしを隠し通した)
2度目のモンゴルで本格的なユキヒョウチャレンジを試みる
1ヶ月の死闘の末、ユキヒョウは見れなかった。けれど、たくさんのいい人と出会えた。
【野生動物は難しい】(n回目)
富山に戻って、県のコンソーシアムからもぎ取った助成金で購入してもらった、カメラを設置する。研究熱心になる?
何度も、海外の話をさせてもらう機会をいただいて場慣れする。
【プレゼンは感情と熱量】だと知る。
卒論がきつすぎて、タイワンザルとタイワンカモシカを見に台湾に逃避行する。
卒論を書き上げる。
今しかできないこと、を求めて半分思いつきでコモド島に行く。(お金がなくて南米に行けなかった...)
コモドオオトカゲ(通称コモドドラゴン)を見ても特に何も感じなかったが、コモド国立公園のダイビングスポットは最高だった。(また、別記事にて)
シンガポールの野生のカワウソを見て動物問題に思いを馳せる。
大学を卒業する。初めてどこにも所属していない自分になったことに気づく
【どこにも所属していないって少し恐怖】
新型コロナウイルスの影響でアフリカの理科の先生としての派遣が遅れる←今ここ
どうも、伊藤隼でした