【オーストラリア】今しかできない事・できなかった事

どうも、ふんどしダイバーことショーン@beblues_です。

 

日本全体に非常事態宣言が表明された2020年4月16日

大変な時代を生きているわけですが、生きているのでハッピーです。

 

皆、今しかできない事がたくさんありますよね。

 

そして「あー、これは2度とできないなー」て思うことも。

 

もう2度とできないその理由には「健康、時間、家庭」いろいろあると思いますが

 

僕が思う「あれは2度とできない」はエアーズロック登頂です。今日はそんなお話し。

 

正式名称:ウルル(Uluru) 俗称:エアーズロック

(日本では、その形からしばしば”地球のへそ”と)

はオーストラリアの中心部に存在し世界最大級の1枚岩として有名です。

また、近くにある「風の谷カタジュタ」と呼ばれる巨大な岩と共に文化と自然の複合世界遺産に登録されています。

 

現地語で赤の大地と呼べれるその地は、昼間は猛烈な暑さに襲われ、夜になると美しい星々が現れる砂漠地帯。

 

巨大なその1枚岩は周囲10kmほどで

歩いて1周するには猛暑の中耐える精神力と体力が必要になります。

(僕は、各地にある給水所で死ぬほど水を飲んでました。)

 

しかしながら、そのウルルには1万年前のアボリジニ人が描いた壁画があったり、重要な儀式の場であったりと、大変 文化的に貴重なものでもあります。

 

元々は、迫害されていたアボリジニ族が住民権を手にしていましたは

 

「俗化してきてお金が欲しいアボリジニ」と「観光地化して儲けたい豪州政府」の大人の都合により

1985年から2084年までの間「99年間のリース契約」がなされていました。

(99年契約...言い回しがかっこいいですね。)

 

そこから、一般人の登山が許され、国立公園の1日入園料25ドルを払えば運良ければ観光客が登っていました。

 

お金は貰えたが、解せないアボリジニ達(本来ウルルは、めちゃくちゃ神聖な土地)は痺れを切らして2017年に「神聖な場所だから契約破棄して返して欲しい」と持ちかけて

 

オーストラリア政府が「2年後には登山禁止にします」と言ったのが2017年

(それから2019年10月26日登山禁止に)

 

話は戻って、僕がウルルのある街(高級リゾート地)についたのが2019年1月21日

 

気温は、、、

f:id:Fundoshighostcat:20200417011417p:plain

1ヶ月前まで-31C°のモンゴルにいた僕「なんじゃこりゃ...」

 

 

 

サンダルの隙間から入ってくる熱波を浴びた砂は猛烈に熱くて、立っていられなくなります。

(オーストラリアは深刻なオゾンホールが問題となっており 紫外線が日本の夏よりよりもちょっと強い)

というか、本気の夏の砂漠はまじで危険です。

 

という話をしだしたら、ウルルはかなりのエピソードがあるので

(水と熱波だけでカップラーメンを作ったり)そこら辺はまた別記事で

f:id:Fundoshighostcat:20200417011714j:plain

f:id:Fundoshighostcat:20200417011734j:plain

熱波とウルルのパワー(霊的)でカップ麺を温める作業



あと、アボリジニ族はブーメランでカンガルーを狩るらしい

 

兎にも角にも、僕がウルルに来た目的はただ一つ。

ウルルに登ること。です。

アボリジニの聖地を登る行為に関してはいろんな意見がありますが、本当に申し訳ないとは思いますが、僕は登ります。すみません。

 

 

 

しかしながら、登山禁止になった今では関係ないですが

ウルルを登る条件もかなり限られていました。

 

ルール1:時間内にしか登山道にエントリーできない

夏は暑すぎるため6:30〜17:00

冬は7:00〜17:00という時間制限

 

ルール2:36度以上の予報が出るとその日は8時以降登山禁止

(人が死んでるから)

 

ルール3:風が強いと登山禁止

(人が死んでるから)

 

ルール4:雨で表面が濡れると登山禁止

(人が死ぬから)

 

ルール5:雨が降っていたら登山禁止

(砂漠地帯なので年に数日しか降らない)

 

ルール6:雷がなったら登山禁止

(何もない砂漠地帯、まず人に雷が当たるから)

 

ルール7:頂上付近が曇ってたら登山禁止

 

ルール8:アボリジニの祝日は登山禁止

 

など....いっっぱいあるわけです。

(なので、360日の内300日は登れない、なんて言われたり)

 

かなりでかいウルル、ガチの人だったら行けるかもしれませんが、普通の人が登山道以外からのアプローチをした場合。まず、死にます。。

f:id:Fundoshighostcat:20200417013046j:plain

これ、登れそうに見えてめちゃくちゃ高いです(300m以上)



 

唯一の一般向けの登山道は 上記の規定に触れると

レンジャーが冷酷に、冷静に「登山禁止」の看板を掲げます。

f:id:Fundoshighostcat:20200417011829j:plain

「風が強いので登山禁止」の日

 

 

 

小学校の頃からなぜか「へそ」として馴染みがあった

どーーーーーしても登りたかった僕は高級リゾート地の1番安いドミトリーで10日間を予約(アフリカで使わなかったお金のあまり)し、毎日シリアルとパスタだけを食べて生活していました。

 

 

10日間いた中で、登れたのは3日のみ(着いた初日と翌日、最終日)

 

”今しかできないことを求めて”万全の準備を整えた僕は

ヒッチハイクやらバスやらで宿からウルルに向かいました。

f:id:Fundoshighostcat:20200417011934j:plain

f:id:Fundoshighostcat:20200417011952j:plain

 

 

そして、いよいよウルル登山口到着

f:id:Fundoshighostcat:20200417012021j:plain

「あ、開いてる!!!」

 

「行けーーーー!いくんだーーー!!(登山口が閉まる前に)」

f:id:Fundoshighostcat:20200417012110j:plain

f:id:Fundoshighostcat:20200417012207j:plain

この写真の数秒後にケアンズで買った「豪州帽子」が風で吹っ飛びます

 

ウルルの風はまじで強かったです。

f:id:Fundoshighostcat:20200417012251j:plain

現地で出会った友達と登ること30分

 

 

f:id:Fundoshighostcat:20200417012319j:plain

ウルル 登頂!

 

夏の砂漠なので、暑いですが風が心地いいです。

地球のヘソの上には特に何もありませんでした。

 

 

そして、多分 世界初 そして 世界最後の

 

f:id:Fundoshighostcat:20200417012449j:plain

Fundoshi Uluru!!

 

多分、僕の先にも後にもこれをやった人はいたでしょうか、、、

 

 以上、これがやってみたかったためだけに

「今しかできないエアーズロック登山をしてきた話」でした。

 

 

 

 

お目汚し致しましたので、最後に

美しく燃え上がる サンセットウルルを、どうぞ

 

 

f:id:Fundoshighostcat:20200417015137p:plain

 

 

これが、赤の大地と呼ばれる由縁。

 

1日の朝日と夕日の2回たった、3分だけ起こる”奇跡の紅”が、そこにはありました。

 

 

(登山は禁止されましたが、ウルルのサンセットとサンライズ、それからイルミネーションはまだまだ見ることができます。本当にオススメです)

 

 

今しかできないこと、あの時しかできなかったことがたくさんあると思います。

今のCOVID-19で大変な時ですが、後悔の内容に自粛して、次の旅のために

「これからしか、できない事」を想像しましょう。

 

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

ここからは私用の備忘録です。 

 

1ヶ月ほど前に僕の祖父は倒れて意識は戻らない人になりました。

今も、意識はなくいつ逝ってしまってもおかしくは無い状態だそうです。(2020/4/17現在)

 

祖父が倒れた日、

僕は卒業旅行でフィリピンに到着した時に突如 親から連絡が届きました。

 親からは「まだ、大丈夫だから。帰国の判断は任せる」と言われました。

その時、祖父との最後の会話を思い浮かべました。

1ヶ月ぶりに会った祖父

 

最後の会話は

「明日から旅行ってくるね!」

「おぉそうか、隼くん 楽しんでな。」

でした。

 

一生忘れない会話の一つです。

絶対に楽しんで帰る。そう決めて、途中帰国の選択はしないことに決めました。

 

伊藤家の子育ての基本は 遠見の保護スタイル

命令のようなものは無く。多分、全員が自分の人生を自分らしく普通に生きています。

 

なので、じじ不孝でも、

帰らない。それが、じじ孝行だと思いました。

 

じいちゃんが、いきたかった世界や時間を全力で楽しんだ記事はまた今度として。

 

今年の正月に実家に帰った時、おじいちゃんとご飯にいきました。

おじいちゃんの頼んだ、うどんは器が園芸できるくらいデカく2人で笑いました。

 

それから、モンゴルの話を写真を見せながらしていると

「これなんだ?」おじいちゃんが食いついたのは 僕が熱心に話す動物では無く、

モンゴルの子供と撮ったSNOWの加工写真でした。

 

「やってみようか」

 

スマホを構えて、2人で写真を撮って見せると、「なぁんじゃこりゃ〜〜!」

じじい大爆笑

引き笑いになりながら笑っていました。

f:id:Fundoshighostcat:20200417000709j:plain

伊藤一夫 初めてのSNOW

 

恥ずかしいくらいに店に響き渡る声で爆笑する祖父。

どのフィルターをかけても盛大に笑いこけます。

昔は酒豪だったのに、最近はしっぽりしか飲まない。今も酔っているわけでも無いのに。

涙を出すほど笑う祖父。

 

そして、こう言いました。

 

「あー、今、一生分笑ったわ。」

 

ものすごく幸せでした。

 

正月の1年前には2人で喫茶店に行って大好きな茶碗蒸しをくれたおじいちゃん。

大好きです。

f:id:Fundoshighostcat:20200417001015j:plain

 

もう一度、大変な時代ですが、これからがある我々は幸せです。