【インド】人(詐欺師)に「日本てめんどくさいな」と言われた話
どうも、天皇即位の日ですが、何とも思わないのはどうなんだろうと
思い始めた、ふんどしダイバーことショーン @beblues_です
今回の駄文は多少、長文となっているかもしれません。
天皇様が、初の生前退位というのは、やはり歴史的なことなのでしょう。
平成の上皇が亡くなっていないからか、みんなお祝いムードで良いですね。
そんな今日は、1ヶ月間いたインドで最も印象的だった
バラナシの人が燃やされる火葬場での話
そもそもなぜ、インドに行ったのか
火葬場の話の前に、インドへ行った理由から
答えは非常にシンプルで「ベンガルトラが見たかったから」、以上ですね。
比較的安く飛行機が関空から取れたので、西のデリーから入って、東のベンガル地方でトラを見よう。ただ、それだけのインド横断旅でした。
道中に、せっかくならと思い。旅人達の王道ルートを股にかけながら旅をしました。
聖なる母の川、ガンガーに浮かぶ人々
ガンガーと言えば、バラナシ(街の名前)での沐浴
インドを訪れた旅人には絶対に外せない行事です。
世界には11億人のヒンドゥー教徒がいて、みなガンガーが大好きです。
ヒンドゥー教徒にとってガンガーでの沐浴は浄化できるとされ、とても良いことらしいです
と、言うことで僕もとりあえず『ガンジス川でバタフライ♪』
飛びこんだ川の水底には牛糞だらけ... よく滑りました
周りにいた人たちに撮影してもらいましたが、
この人たち曰く、「チフスやらコレラやら、とにかく日本で絶滅した危ねえ菌だらけ」、と言うことらしいので ガンガーでの沐浴は自己責任で
また、バラナシでガンガーに流された人間は輪廻から解脱できる(最高にハッピー)とされており、ここからが本題です
火葬場で働く詐欺師
バラナシには数多くの火葬場がガンガーに沿って点在しており
「24時間そこから煙が途絶えることはない」と言われています
常に人が燃やされては、流され、燃やされては、流されているんですね
そんな火葬場を見学できると聞き、1番バラナシで有名な火葬場に行きました
バラナシの街は建物でひしめき合っていますが、空を見上げれば煙が、火葬場の位置は割とわかりやすいです
牛と野犬が練り歩く道を抜けると大きな火葬場につきました
そこで1人の男が近寄って来て「人を燃やすための薪が必要なんだ。うちの親父を燃やすために寄付してくれ」と悲痛の顔をしながらいいます
はい(分かる人には、わかりますよ。)詐欺師です。彼の親父はここにはいません。100%嘘です
前情報で彼らの話術と戦法は知っていたので
ショ「へー、そうなんだ。ちょっと見学させてよ」
薪男「それなら、建物の上から見よう」
薪男は(親父を燃やす金がない)役を忘れて、ヒンドゥー教とガンガーについて話始めます。
そして、屋上に着いた時、騙されて薪代を払う欧米人など、観光客が多くいました
屋上からは火葬場がもろ見え(そもそも隠すつもりはない?)
木がキャンプファイアーのように組み立てられており、物によっては布や飾りで修飾されていました
組まれた木の近くには遺族や野犬、牛が闊歩し、木に点火されます
よく見ると、修飾のない組木からは遺体の手足が露出し、火に燃やされ真っ黒になります。「人が燃やされている」初めて見ました。
火が燃え尽きないくらいのタイミングで組み木ごとガンガーに流されていきます
遺体の彼は幸せの人生だったのかはともかく、これから解脱されるよう
川に目をやれば、いくつかの組木が浮いていました
子供たちは川で遊んでいた
【生まれる→生きる→死んでいく】はワンセット
火葬の工程が終わると薪男は慣れた口調で話始めました
薪男「インドで事故で死んで火葬された日本人もいるんだぜ」
※薪男は寄付の戦法は諦めて、ガイド料を請求しようと頑張って話している
気持ちが重くなり、屋上の火葬場が見える場所から反対の場所に移動した時
衝撃でした、、、
川に流れる組木には一瞥もくべずに、多くの人々が今日も威勢よく、気持ちよさそうに沐浴していました
人が焼かれて流される火葬場と、沐浴場の距離はこの建物を挟んだ、たった十数m
こんな小さな空間に人の生と死 が混在している
なんとなく、「あぁ、これで良いんだ」と納得してしまいました
日本は無責任なのか、インドがてきとーなのか
人が川に流されて数分後に、人が川で生き生きとしている現場を見た
その時に、
大きなマーケットの横に巨大なと畜場があったのを思い出した
首都の道で瀕死の親犬と元気な子犬が道に転がっていたのを思い出した
美味いチキンを食べたレストランで横から鶏の断末魔を聞いたのを思い出した
手足と背骨が曲がったしょう害者と彼女を横切るスーツの男を見たのを思い出した
人の死を悲しむ人と対照的に人の死を利用して金儲けしている薪男を思い出した
インドは一貫している、生と死は同居して良いんだと
どこまでもシンプルだ。死は避けようがないから、生にしがみつくしかない。
そんな気を感じた。
日本はどうだろうか
例えば、僕たちが生きるのに欠かせない食べ物。
牛が生まれる場所があり、牛が育ち大きくなる場所がある
牛が運ばれ、牛がと畜される場所がある
解体されて、出荷される場所がある
出荷されて、調理される場所がある
料理として運ばれ、僕たちが食べる場所がある
全てが壁を、隔離を挟んで行われている
僕たちは、非常に丁寧なまでに作られた環境のおかげで、
いただく命の何も知ることがない
これって、当たり前なのかな?
生死に神経質なまでに配慮する日本と
対照的に生死に一見無頓着と思われるインド
両方、存在しても良いのだ。なんとなく納得した
そんな整理もつかないような感覚を薪男に話してみる
薪男「日本も日本人もめんどくさいな」
もう、こいつはダメかもしれない、後をさろうとしたら案の定
「ガイド料!金を払え!」と後ろから声がする
牛を避けながら狭い路地を走った。
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